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戦国時代の戦いの跡(良清軒跡古石塔群と軍原(いくさばい)の大地)

良清軒は長能寺の末寺(まつじ)で、肝付氏の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔、飫肥塔、地蔵尊(じぞうそん)、万霊塔(ばんれいとう)などが残されていて、肝付氏の墓地であったことを物語っています。

14代当主肝付兼久(きもつき かねひさ)のとき、1506年8月6日から10月12日まで、11代島津忠昌による高山城攻めがあり、激しい攻防が繰り返され、良清軒跡の西側の台地は軍原(いくさばい)といわれ、多くの戦死者が出た場所です。
現在は、畑地帯が広がり住宅が点在しています。

この良清軒跡から高山城まで直線で、わずか1.5kmの距離です。

高山城は、最後まで陥落しませんでした。